昔、百円均一で買った、文学の本(ダイソー文学シリーズ⑫)を読んでいて、心動かされた詩です。芥川龍之介 侏儒の言葉で引用されていました。
趙甌北の「論詩」
原文:少時学語苦難円
唯道工夫半未全
到老始知非力取
三分人事七分天
読み:しょうじごをまなんでえんなりがたきをくるしむ
ただいうくふうなかばいまだまったからずと
ろうにいたってはじめてしるりょくしゅにあらざるを
さんぶのじんじしちぶのてん
訳(ダイソー文学シリーズからの引用):若いころ詩が上達しないのに苦しんで自分の工夫がたりないせいだと思っていた。年を取って初めて創作が人間の努力だけではどうにもならないことを知った。人の力は三分、天命が七分なのだ。
所詮は人事を尽くした後、天命に任せるより仕方はない。という箇所での引用でした。
私自身は、「人事か」「天命か」を判ずる境地に、達しうるだけの、人事を尽くしている人がいる、その事実に、意識が向かいました。
学び、工夫をこらし、試行錯誤を繰り返し、どれだけ計算しても、どうしても届かなかった、神の領域、それが見えるのは、頑張った人だけのはずです。
その一方で、才能には恵まれたのにも関わらず、努力が足りず、または環境が適さずで、作品が作れず、神の領域が見えず、死んでいく人もいるでしょう。
二者を比べれば、前者の方が、断然に尊い気がする。だが、自分は後者だ。そういった事を、考えさせられた、詩歌となりました。
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